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あの時ビットコインを信じきれなかった僕が、今あらためて考えていること
2023年のはじめ頃。
ある有名なインフルエンサーが
「ビットコインの時代が来る」と強く発信していました。
当時の価格はたしか
1BTC=500万〜600万円くらい。
正直、こう思っていました。
「いやいや…もう十分上がってるでしょ」
「これ以上伸びるって本当?」
「そんなに人生賭けるのは無理だな…」
結局、僕が投資したのは
約30万円分だけ。
一方その人は、
資産のほぼすべてをビットコインにフルベット。
「すごいな…でも自分には無理だな」
そう思って見ていました。
そして数年後。
その人はメルマガでこう言っていました。
「資産は今、4億円ほどあります」
「もう仕事はリタイアしています」
……。
正直、衝撃でした。
でも同時に思ったんです。
「この人は未来を読んだんじゃなくて、“未来を信じた人”なんだな」って。
未来を読む力って、特別な才能なのか?
僕はずっと
- 頭がいい人だけが読める
- 経済に詳しい人だけが分かる
- 特別なセンスがある人の世界
そう思っていました。
でも今は少し考えが変わっています。
未来を読む力ってたぶん、
才能よりも「思考のクセ」なんです。
価格を見ていた僕と、「流れ」を見ていた人
当時の僕はこう見ていました。
- 今いくらか
- 高いか安いか
- 上がるか下がるか
つまり
“価格”だけを見ていた。
でも、フルベットしていた人たちはたぶん違いました。
彼らが見ていたのは
- 国がお金を刷り続けている
- インフレが進んでいる
- 通貨の信用が揺らいでいる
- デジタル資産への移行が進んでいる
つまり
「世界のお金の仕組みがどう変わるか」
価格ではなく、
“時代の流れ”に賭けていたんですよね。
未来はいつも「少数派」から始まる
思い返せば、
ビットコインが怪しいと言われていた頃に
- 「法定通貨の価値は下がる」
- 「デジタル資産が当たり前になる」
- 「銀行に頼らない世界が来る」
こういう話を真面目に追っていた人たちが
結果的に“先を読んでいた人”になりました。
未来っていつも
「まだ信じられていない話」から始まる。
これは今回、身にしみて感じました。
じゃあ今から投資するのは遅いのか?
ここが一番よく聞かれるところだと思います。
2026年の今、
ビットコインやイーサリアムに投資することは、
5年後、10年後、50年後の時代に乗ることになるのか?
僕の今の答えはこうです。
「未来の一部には乗れる可能性はある。でも“それだけ”ではない。」
ビットコインに賭けるということ
ビットコインに投資するというのは
「値上がりを期待する」だけじゃなくて
✔ お金の価値のあり方が変わる世界
✔ 国に縛られない資産の時代
✔ デジタル上に価値を保存する社会
こういう未来に
小さくでもポジションを取ることだと思っています。
イーサリアムに賭けるということ
イーサリアムはどちらかというと
✔ Web3
✔ 分散型サービス
✔ 中央管理者のいない仕組み
こういった
「インターネットの次の形」に賭ける行為。
つまり、
ビットコイン=お金の未来
イーサリアム=仕組みの未来
そんなイメージに近いです。
でも大事なのはここ
正直に言います。
ビットコインもイーサリアムも、未来を100%保証してくれるものではありません。
価格は大きく上下するし
規制も変わるし
新しい技術が出てくる可能性もある。
だから今の僕のスタンスは
「未来の可能性のひとつに乗る」
という感覚です。
全部を賭けるのではなく
未来シナリオのひとつにポジションを持つ。
これが今の自分にしっくり来ています。
あの時フルベットできなかった僕が、今思うこと
もし過去に戻れるなら
もっと買っていたか?
正直…たぶん
それでもフルベットはできなかったと思います。
でも今なら分かります。
あの人は
値段を当てたんじゃない。
未来の方向を信じた。
そして今、僕がやろうとしているのは
「未来を当てること」じゃなくて
「未来の可能性に席を用意しておくこと」
なんですよね。
未来に強い人がやっている、たった1つのこと
最後に、今いちばん意識していること。
ニュースを見たらこう考えるようにしています。
「これが本当なら、5年後どうなる?」
AI
お金
働き方
教育
国家の力関係
この“流れ”を見るクセをつけるだけで
投資の見え方も、ビジネスの見え方も変わってきました。
まとめ
- 僕はあの時、ビットコインを信じきれなかった側の人間
- でもその経験があったからこそ分かったことがある
- 未来は予言するものじゃなく、可能性に席を取るもの
そして今はこう思っています。
未来に乗るかどうかは、価格ではなく「時代の流れをどう見るか」で決まる。
あの時の30万円は小さかったけど、
あの経験は、今の自分にとってはかなり大きな学びでした。
